東福寺とは

縁起

東福寺の縁起は薬師堂に始まります。
仁和二年(八八六年)薬師如来と仁王像が
海で漁人の網に入り
仁和三年(八八七年)賢嶺法印が薬師堂を
草創したと伝えられています。
その後、承安元年(一一七一年)に
三間半四面の堂宇が建立され
建保五年(一二一七年)仏師運慶法印が
薬師如来、脇侍仏、十二神将を制作奉納し
諸堂を建立して東福寺開山となりました。

創建

歴代真言宗でありましたが永正17年(1520)東福寺中興開山、松医活涛禅師が臨済宗に改宗しました。
その後、三世春岳智栄禅師が正保2年(1645)に大倉戸に東新寺を創立し慶安4年(1651)に同寺の開山となっています。
明治37年(1904)に南禅寺派より分かれて現在の方広寺派となりました。

歴史

慶長年中には黒印を受け、慶安元年(1648)三代将軍徳川家光より薬師堂領として朱印地十石が与えられています。
また創立以来、多くの災害があっても寺の位置は変わらず
今もなお、境内にはマキの大木が繁っております。

住職

臨済宗方広寺派東福寺住職
伊藤 弘陽(イトウ コウヨウ)

1982年 3月3日 静岡県湖西市新居町 生まれ
2000年 静岡県立湖西高等学校 卒業
2004年 立命館大学文学部史学科東洋史専攻 卒業
2004年 臨済宗建仁寺派専門道場にて
     建仁寺派管長 小堀泰巖老大師につき修行
2007年 臨済宗方広寺派東福寺住職 就任
2010年 臨済宗方広寺派布教師 就任
2012年 臨済宗連合各派布教師 就任